こころとからだのつながり

臨床心理士のつぶやき

 我々が日常的に用いる慣用句の中に、身体の一部を用いた表現が数多くあります。例えば、「耳が痛い」、「面の皮が厚い」、「眼が泳ぐ」、「鼻が高い」、「肝に銘じる」、「へそを曲げる」、「地に足がつかない」、「心臓に毛が生えている」、「指をくわえる」などなど。これらはいずれも人間のこころの状態について、【比喩】を用いて表していることばです。このような表現は日本語に限らず、様々な言語文化に存在しています。人間は目に見えないこころの状態をなんとか相手に伝える(またはうかがい知る)ために、からだを用いた表現手段を洗練させてきたと言えるのかもしれません。

 これら比喩表現は言語を自在に操れるようになった大人の表現方法ですが、言語表現が未熟な子どもも、身体の一部や特定の行動を用いてこころの状態を表現することがあります。例えば不安な気持ちの表現として、急にベタベタする、同じ遊びを繰り返す、手を何度も洗う、夜尿、突発性難聴、視力低下、チック、頭痛、腹痛といったものがあります。また、学校に行けない、朝起きられない、怒られるようなことをする、夜に友人とつるむ、非行といった行動で示すこともあります。ただし、これらの表現が見られたからといって、必ずしも「不安」だけの表現とは限りません。実際にからだの病気のときもありますし、人のこころは様々な感情が複雑に絡まっているため、本人も行動や症状の意味が分からないことのほうが多いのです。

 思春期の子どもは第二次性徴により、こころとからだが変化していきます。そのため、今までとは違う「行動」を見せるようになります。それは親や教師といった大人からすれば意味がなく愚かに見えるかもしれませんが、本人にとっては何らかの意味があるのかもしれません。ちなみに、「~~しようとしない」というのも一つの行動です。念のため断っておきますが、子どものすべての行動を許容すべきというつもりは全くありませんし、行動に対する評価は必要です(多くの場合ペナルティかもしれませんが)。むしろ大切なことは、「なぜその行動をしようと思ったのか」、「この症状にはどんな意味がありそうか」を、知ろうとする態度や姿勢だと思います。

 子どもが示す行動の表面だけに反応して頭ごなしに叱ってしまうと、思春期の子どもたちはどんどん大人に対してこころを閉ざしていきます。中には行動でSOSを示している場合もあるのですが、表面だけに注目する(正論で諭す)と、まったく子どものこころには響きません。「じゃあ何がしんどいのか言葉で言いなさい」とつい言いたくなるのですが、それができないから行動で示すしかないのです。いわゆる問題行動が多い子どもたちは、そうすることでしか他者と関われない・繋がれない状態なのかもしれません。もちろんやってはいけないことは毅然とした態度で禁止することが必要ですが、一方で「この行動は本人にとってどういうメリットがあるんだろう?」と、理解しようとする態度も同時に持ち合わせたいものです。

 人のこころは目に見えないため、つい行動に目が行ってしまうのは仕方のないことです。逆に、それだけ行動というのは相手の注意を引き付ける力があるとも言えるでしょう。もし、子どもに何か気になる行動が見られた場合、安易に「こうに違いない」と決めつけず専門家に相談してみるのも一つです。

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